毎日新聞2004イラクレポート(3)

掲載日:2005年10月11日

米軍の「気まぐれ砲弾」で殺される人々

同じく銃撃戦で兄を失った兄弟
同じく銃撃戦で兄を失った兄弟

その洋品店は10坪ほどの小さな店だった。4月7日未明、戦車とアパッチヘリで米軍がサドル市を夜襲する。米軍は無差別に撃ってきた。戦車からの砲弾がこの店に命中。2階で寝ていた親子5人は即死だった。黒焦げになったミシンや裁断機が放置されている。鉄の扉には無数の弾痕。「ここの主人は、全くの民間人だよ。何も戦闘行為をしていなかった。でも米軍は撃ってきたんだ」「なぜ米軍はこの店を?」「あれが気に食わなかったのさ」。ノーラが指差す方向を見る。サドル師の肖像画が店の2階に貼ってある。「あれだけの理由で?」「そうだよ」。

大型バスと数台の車が黒焦げになっている。アパッチヘリからの空爆でやられたらしい。ここはガレージで、大型バスや車の中に武器が詰まっている「かも知れない」ので、撃ったのだ。この空爆で6人が殺されている。そのうちの一人、家の軒先に立っていただけの青年が被弾し、死亡した。彼の家に親族が集まり、葬式が行われている。「あいつは長男で俺の宝だった。悔しいよ。何でアメリカは無実の者を殺していくのか」父親が悲嘆にくれている。残された2人の兄弟が兄の写真を掲げてアメリカへの抗議を口にする。

これは虐殺ではないか…。「自由と民主主義の国」アメリカが、今イラクで行っていることは、「ゲリラ狩り」であり、「無差別殺人」である。現地のテレビでファルージャやこのサドル市の戦闘の様子が流れる時、字幕テロップで「どんな国でも、どんな軍隊でもいい。このアメリカの虐殺を止めてほしい」というメッセージがアラビア語で流れている。「やむにやまれぬ非常手段」でゲリラ側は日本人を拘束したのだ。不幸にして人質になられた5名の方々も被害者だと思うが、拘束したゲリラもまた被害者なのだと思う。

あー、日本人でよかった…

顔は写さないでくれ、とレジスタンス
顔は写さないでくれ、とレジスタンス

サドル師の軍本部へ行く。ここはもともとイラク警察署だった所。CPA(占領暫定当局)に雇われていたイラク警察官たちは、その意味で「アメリカ側」の人々であった。しかし4月5日からの銃撃戦で、このサドル市のイラク警察署は今やサドル側に「落ちて」いる。警官たちは青い制服を脱ぎ、黒のサドル軍服に着替えてすでにゲリラ側についている。ビデオカメラを回していると「イエス、イエス、サドル。ダウン、ダウン、アメリカ」と子どもを含む民衆が寄ってくる。その数は10人からやがて50人、100人とふくれ上がり、さながら反米集会の様子。中には興奮して拳銃を空に突き上げるヤツや、サーベルを振りかざすおじさんなどもいて、かなり恐ろしい。サドル軍幹部から「俺の家で昼メシを食え」と招待される。誘拐されるか、と恐れていた人々に、なんと昼食までご馳走になってしまった。「4月7日の戦闘で俺は戦車をやっつけた。殺した米兵からネガを奪い、写真を現像したんだ」。どれどれ、とその写真を見せてもらう。米兵が戦車の中でピースサインを作り笑っている。「あいつらは道に倒れた子どもを戦車でひき殺したその直後に、笑ってやがるんだ」。そんな話をしている時、アメリカ人2人が誘拐されるという臨時ニュースが入った。「こいつがアメリカ人だったらなぁ。誘拐するのになぁ」とゲリラたちが笑う。「おいおい、悪い冗談はやめてくれよ」とひきつりながら答えたが、あの時ほど「日本人でよかった」と思った時はない。