中村さんのこと

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中村哲さんはアフガンの人々にとっても、私たち日本人にとっても宝物のような人だった。2010年に偶然、ジャララバードで中村さんと出会い、その活動を取材させてもらった。アフガンは部族社会である。地元の部族長が続々とやってきて中村さんと握手、そしてハグ。みんな笑顔だった。彼らはパキスタンに逃げていた。戦争と急速な砂漠化で、離農した人々。まさかここに用水路が通り、黄色い大地が緑に変わっていくなんて!

通訳のイブラヒームは「彼こそ神様だ」と感激していた。私も同じ日本人として誇りに感じたし、その活動に感謝した。今年8月にそんな「中村さんとの邂逅」を毎日新聞のコラムに書いた。改めて中村さんに感謝しつつ、ここにブログとして再掲する。

2010年1月、アフガニスタンのジャララバードを訪問した。ジャララバードは西から流れくるカブール川と北からのクナール川の合流点に発展したアフガン東部の最大都市。クナール川を遡るように北へ進む。遥か彼方に5千メートル級のヒンズークシュ山脈が見える。なぜ私はこの川を遡っていくのか?それは「もしそこにお墓があれば、お参りさせてもらいたい」からだ。

08年8月、伊藤和也さん(享年31)が武装勢力に殺害された。NGO「ペシャワール会」の農業支援者としてやってきた伊藤さん。アフガン農民と一緒に用水路建設や農地開拓などに励んでいたという。「ミスター・イトーのことなら、あそこの事務所で聞くといいよ」。地元住民の案内で、とある木造平屋建ての家屋へ。

「やぁ、よく来たね」。久しぶりに聞く日本語と共に現れたのが中村晢さんだった。「ほ、本物や」。医師でペシャワール会現地代表の中村さん。「医者、井戸を掘る」「医者、用水路を拓く」などの著書があり、前から大ファンだった私はこの思いがけない出会いに感激した。

中村さんの案内で用水路建設工事現場へ。茶色い大地を進む。砂埃をあげてジープが丘を駆け上がり、峠を越える。眼下に広がったのは...。緑だ、緑の大地が広がっている。クナール川から引き込まれた水が、砂漠を緑に変えている。「アフガニスタンを本来の緑豊かな国に戻したい」。伊藤さんの遺志は、見事にこの用水路に引き継がれていたのだった。

「この辺りは急激に砂漠化したんです。大干ばつに襲われてみんなパキスタンへ」。中村さんによると、戦争も原因の一つだがもっと大きな問題は干ばつだという。なぜ干ばつに?その答えは気候変動。かつてはヒンドゥークシュの山々に降り積もった雪が春になって流れ出し、麓の大地を潤していた。しかし温暖化の影響で雪が雨になり、春を待たずに流れ去ってしまう。難民たちは「戦争難民」であり「気候難民」であった。「もう井戸ではダメ、川から直接水を引き込むしかない」。中村さんがクナール川からの用水路建設を決意したのは03年3月。米軍がイラク戦争を始める1日前だった。それから7年、このガンベリー砂漠に用水路が通り、黄色い大地が緑に、小麦畑に変貌していく。「用水路は全長24、3キロ。この水路だけで約15万人の命が救われます」。訪問時、すでに用水路は開通していた。あとはこの水を畑に引き込むだけ。人々が手作業で水路を建設している。

「600人を雇っています。『水路ができた』と聞いて、彼らは戻ってきたのです」。水路建設の労賃で一息ついた後、彼らはこの地で農業を営む。「命の水」が人々に笑顔と希望を与え、そして共同体=村が形成される。

アフガンはもともと農業国。40年以上続く戦争によって、農民たちは難民となり、耕作地は砂漠化した。この土地を復活させるには...。難民たちは元農民だ。水さえあれば彼らは自立し自活できる。「この運河で約3万4千ヘクタールの土地が生き返ります。福岡市と同じくらいの面積ですね」。福岡出身の中村さんがボソッとつぶやく。運河は山の中腹を走る。「高いところを通せば、運河からの浸透水がふもとへ。ご覧なさい、あそこもここも小麦畑になっているでしょ」。石造りの運河では約7割の水が下流に運ばれ、3割が地下に浸透する。だから運河より低い土地は緑に変わる。私たちの姿に気付いた農民たちが手を振っている。「アメージング(素晴らしい)」。通訳のイブラヒームが感動している。建設現場の最前線へ。工事のほとんどは手作業だが、肝心なところは重機を使う。小柄な中村さんがスタスタと重機に乗り込み、掘削作業。

「ここは治安がいいですよ。みんな農業で食えますからね」。そうなのだ、飢餓から解放されれば人々は争わない。武器の代わりに小麦があればアフガンは平和になるのだ。

2010年1月、アフガン東部のジャララバードで中村晢さんに出会った。クナール川から7年もの歳月をかけて運河を引き込み、戦争と干ばつで荒れた大地を緑に変えてきた中村さん。運河建設と共に進めてきたのがモスクと学校の建設だった。「戦争孤児たちはパキスタンに逃げて、マドラサ(神学校)で勉強しているのです。あそこには過激な人たちがいるから」。そう、タリバンはパキスタンのマドラサで生まれた。インドと対立するパキスタンは「前門の虎(インド)後門の狼(アフガン)状態」を避けるためアフガンを支配する必要があった。だからタリバンを送り込んでアフガン内戦を終結させたのだ。その後9・11事件が起きて、米軍とタリバンは泥沼の戦争を続ける。パキスタンは表向き米軍に協力しながら、裏ではタリバン勢力を黙認し、アフガンが安定しないように「パキスタン・タリバン」を作って、テロを継続させてきた。そのため一部の子どもたちはマドラサで過激思想に染められ「自爆テロ要員」にさせられてきた。緑の大地と共に必要なのは「穏健なモスクと学校」なのだ。「学生寮を作って、孤児を引き取るつもりです。モスクは村のシンボルで、揉め事が起きた時もここで話し合って解決できます」。普段はボソボソと話す中村さんだが、話題が子どものことになると笑顔になる。米軍の空爆が北風作戦だとすると中村さんたちの地道な運動は太陽作戦だ。さてどちらが平和に資するのだろう。

以上が毎日新聞に掲載したコラムの原稿を書き直したものだ。

中村さん、安らかにお眠りください。合掌。

ジャララバードで 中村さんと のコピー.jpg

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