中村哲さんとアフガニスタン

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中村公園の中の中村さん ツイッター.jpg

2020年10月22日から11月3日まで、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ経由でアフガニスタンに入った。医師でペシャワール会現地代表の中村哲さんが殺害されて1年。中村さんの造られた用水路は今どうなっているのか、なぜアフガニスタンの戦争は終わらないのか、繰り返される戦火の中で人々はどんな暮らしをしているのか...。ここでは時系列に沿ってまとめてみたい。

10月22日午後8時、関空に到着。「あーこりゃひどい」。空港はガラガラ。外貨両替店もレストランも閉まっている。飛行機もガラガラ。国際線は人ではなく、空気を運んでいる状況で、フライトアテンダントも暇そうにしている。エコノミー4座席の肘掛を倒して寝転がってドバイまで。関空とは対照的にドバイ国際空港の入国審査は大混雑。なぜか?コロナ対策でUAEはアブダビなど他都市からの入国を禁止。唯一の玄関をドバイに絞っているのだ。入国の条件は検査から96時間以内の「コロナ陰性証明書」を所持していること。私は3日前のPCR検査で「コロナ陰性証明書」をゲット。この時点ですでに94時間が経過。ヒヤヒヤしながら順番待ち。95時間目、ギリギリで入国に成功。安宿にチャックインして、まずは「2020ドバイ万博」の予定地をめざす。予定では今年10月から開催されているはずのドバイ万博。東京オリンピックと同様、1年延期になった。万博予定地までは市内中心部から地下鉄で約45分。最寄駅に到着。ここからはバスになるが、万博が開催されていないのでバスもお休み。仕方なくタクシーを拾って片側7車線の巨大な万博ロードを突っ走る。道路沿いには民家も工場もなく、行き交う車もない。何しろドバイ万博の推定入場者数は約2千5百万人!この道路でも足らないので、お隣に地下鉄の新線が工事中。もしコロナが収束せず、万博が中止になればこの道路や地下鉄、すでに建設されたパビリオンなどはどうなるのだろう?日本も人ごとではない。2025大阪万博はドバイが順当に開催されて5年の空白期間があるという前提で計画されている。もしドバイが2年、3年と延期されていけば...。コロナ後のドバイ、世界の諸都市と同じくインバウンドはほぼゼロ。ホテルには閑古鳥が鳴いている。そして万博こそ3密で、よほど注意を払わないと、またもパンデミックだ。ドバイ万博が来年開催される保証はない。しかしまだドバイは「陸地なのでマシ」。万博が無理でもこの土地にニュータウンや工業団地などを造成すれば有効活用は可能。ところが大阪会場は海に浮かぶ夢洲なのだ。人の住まない人工島に、無理に無理を重ねて道路や地下鉄を通せば、それらは「壮大な無駄」にならないか?コロナ対策をしなければならない時に無理やり強行した2度目の住民投票も「壮大な無駄」だった。都構想と同じく、大阪万博も引き返した方がいい。もちろん、東京オリンピックも早期に中止すべきだろう。

10月26日、アフガニスタンのビザが下りる。ドバイ〜カブール便は毎日飛んでいる。出たばかりのビザを握りしめてカブールへ。3時間のフライトでカブール到着。メインストリート、主要なビルは自爆テロを警戒して巨大なコンクリートの壁に覆われている。通行人の中にブルカをかぶった物乞いの女性、地雷被害者と思しき片足の男たち、そしてアフガン軍が睨みを効かせる検問所...。わずか3時間で金満天国ドバイから、戦争地獄のカブールへ。大きな鉄の門扉に守られたホテルにチェックイン。ホテル前では民間軍事会社の兵士が銃を構えて24時間体制で警備している。今日からは酒もネオンも夜間外出もない生活になる。

10月27日、カブールを出てアフガン東部のジャララバードを目指す。テロが頻発し、武器があふれるジャララバードでは強盗事件も多発。なるべく現地の人々の中に溶け込まないと危険だ。アフガン民族衣装に着替えて、くたびれた中古タクシーをチャーター。洋服を着ていると目立つし、快適だからといって四駆のランドクルーザーなどを選ぶと「金を持っているヤツら」と誤解され、標的になりかねない。約4時間のドライブでジャララバードに到着。ここはカブール川とクナール川の合流点に栄えた歴史ある古都で、ここからあの三蔵法師も通ったといわれるカイバル峠を越えれば、もうそこはパキスタンだ。

ジャララバードを南北に貫くクナール川を遡る。はるか彼方にヒンズークシュの山々が見える。この大河はヒンズークシュを水源として下流のパキスタンでインダス川に合流する。淀川くらいの川幅に満々とした水量をたたえ、1年中枯れることはない。

約1時間後、川沿いの国道を外れ、石ころだらけの土漠を行く。ガンベリー砂漠と呼ばれる不毛の地。その小高い丘を喘ぎながらオンボロタクシーが駆け上がる。「あれがナカムラパーク(中村公園)だよ」。通訳が指差す方向に細長い森が見える。広大な砂漠の中でそこだけが緑。「そうか、あの森は用水路に沿って伸びているのか」。中村哲さんが7年の歳月をかけて建設したマルワリード用水路(現地語で真珠の意味)は全長25キロ超。クナール川の水をガンベリー砂漠に引き込んで、約1万6千ヘクタール(東京ドーム3500個分)の黄色い大地を緑に変えて、65万人の人々を飢えと渇きから救ってきた。アフガニスタンの人々はその最大の功労者である日本人を「カカ・ナカムラ」(中村おじさん)と呼んだ。10年前に私がこの地を初めて踏んだ時「お前は日本人か?それなら、どうしても会わせたい人がいる」。現地の人がわざわざ中村さんの事務所まで私を連れて行ってくれた。「やぁ、よく来たね」。微笑みながら現れたのが当時62歳の中村さんだった。中村さんは現地の人々に愛されている。この調子でずっと用水路事業を進めていかれるだろう、と確信した。

昨年12月4日、その中村さんが何者かの凶弾に倒れてしまった。人々はその死を悼み、感謝と敬愛の念を込めて「中村公園」の中心に記念塔を建てた。塔には中村さんの肖像画。(写真)その柔らかで優しそうな眼差し。「中村さん、ありがとうございました」。心の中で両手を合わせて記念塔を撮影。あぁ、もうこの人には会えないのだ。涙でファインダーがにじむ。

この記念塔から車で10分ほど用水路を遡る。「あっ、ここと違うかな」。10年前に中村さんの案内でこの場所を訪れた時、人々はスコップで小さな水路を掘り進んでいた。この水路はマルワリード用水路から畑に水を引くためのもの。「すぐにこの辺りは緑になりますよ」。ボソボソっと語る中村さん。偉大なことを成し遂げているのに、自慢せずに朴訥と語るのが「中村スタイル」。私たちの姿に気づいた「作業員」たちが手を振ってくれている。みんな笑顔で嬉しそうだった。

10年後、同じ場所に立つ。砂漠が緑になり子どもたちが遊んでいる。予言どおり、ここに森ができて、家が建ち、子どもが生まれ育っている。

さらに用水路を遡る。中村さんたちが作っていた農業試験所前に到着。この土地にどんな作物が育つのか、トウモロコシ?小麦?。現地スタッフと協議していた中村さん。10年後、この場所はオレンジ畑になっていた。「この畑だけで1年に5500ドル(約60万円)の売り上げになる。農民たちは喜んでいるよ」。通訳の言葉にうなずく。アフガニスタンの60万円はかなりの大金。中村さんの事業は人々を飢えから解放するだけではなく、人間らしい生活を取り戻すチャンスも与えてくれているのだ。

生前の中村さんはこの用水路についてこう語っている。

「銃で押さえ込めば、銃で反撃されます。当たり前のことです。でもようやく流れ始めた用水路を誰が破壊しますか?緑色に復活した大地に、誰が銃弾を撃ち込みたいと思いますか?それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってきます。それが本当の外交なんじゃないかと僕は確信している。9条があるから海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが本当の日本の強みなんですよ」。

「テロとの戦い」という名の武力ではなく、農業で平和をもたらした中村さん。「かつてのガンベリー砂漠」はアフガニスタンでは例外的に治安が安定している。それは「人々が飢えていないから」だ。

残念ながら今のアフガニスタンは、各地でタリバン軍とアフガン政府軍の戦闘が続いている。主な原因は貧困。アフガン政府軍はもちろん、タリバン軍も金で兵士をリクルートしている。「タリバン兵になれば給料がもらえる」という理由で若者が戦場に向かう。ではそんな現状をカブールで取材してみよう。

10月29日、ジャララバードからカブールに戻り、郊外の「チャライカンバーレ避難民キャンプ」を訪問する。ここには約4千人の避難民が土塀とビニールテントの粗末な家で暮らしている。特徴は「昨日、今日逃げてきた人」であふれていること。アフガン南部のカンダハル州、へルマンド州ではタリバンとアフガン軍の激しい戦闘が続いている。家を焼かれ、故郷を破壊されて逃げてきた人々が、今まさに泥をこねて「家」を作っている。土壁はできたが屋根はない。幸いにしてまだ雨季ではないので晴天が続いているが、もうすぐ冬がやってくる。カブールの冬は寒い。1月には気温が氷点下20度まで下がり、キャンプは凍りつく。人々は着の身着のまま逃げてきているので暖房設備はもちろん、火をおこすマキも石炭もない。この状況で子どもたちはズボンもパンツも靴もなく裸同然なのだ。アフガニスタンでは6人に1人が1歳の誕生日を迎えられない。そんな状態の中でコロナ禍が襲いかかる。国連や支援団体がコロナで引き揚げていて、支援物資が届かないのだ。「せめて食料を」。キャンプ責任者の求めに応じて緊急に30家族分の食料を購入して配布した。大変喜ばれたが、「食べたら終わり」。私の支援は根本的解決になっていない。乾いた大地に水を引き込んで農業で生活できるようにする。中村さんの用水路は人々を自立させ、希望を与えてくれる。改めて偉大な事業だと思う。

10月31日、カブール市内中心部の米国大使館前を通り過ぎる。米国大使館を守るコンクリート壁に中村さんの肖像画が描かれている。この大使館から車でわずか5分、インディラガンジー子ども病院を訪問した。特別に許可をもらって、まずは乳児病棟へ。栄養失調の子どもが多数、ベッドに横たわっている。双子で生まれてきたウスマン君(8か月)は、痩せた母親の胸にしがみつくのだが乳が出ない。なぜこんな状態まで放っておいたのか?それは「カブールまでの交通費」。広いアフガニスタンで子ども病院はここだけ。飢えた母親はカブールまでのバス代を調達することができなかったのだ。

やけど病棟へ。マルディヤちゃん(2)はパン焼き釜に頭から落ちた。落下した時に両手で踏ん張ったのだろう、両手指は切断されている。なぜパン焼き釜に?それは台所の構造。アフガンの貧困家庭には机もガス調理器もなく、地面に穴を掘って薪で煮炊きする。夜は寒いので、乳幼児が暖を求めて釜に近づいてくる。忙しい母親はその危機を気付かない。そして...。悲鳴に気がついた時はすでに子どもは炎の中。そんな悲劇が後を絶たない。

ラズッラー君(12)はその日、自宅で身を隠していた。銃声が聞こえる。タリバンとアフガン軍の戦闘が始まったのだ。家族と一緒に震えながら戦闘が終わるのを祈っていたその時、爆音とともにロケット弾が飛び込んできた。意識はここで途切れる。気が付いた時はこの病院のベッドの上だった。両親と兄弟を失い、5回の手術を受けた。全身大火傷を負ったが12歳の生命力が上回った。「もう峠は越えた。大丈夫だ」。医師の説明を聞きながら、彼の目から大粒の涙がこぼれた。

アシナちゃん(10)もロケット弾の流れ弾による大火傷。彼女の頭部にロケット弾の破片が突き刺さっていて、頭蓋骨を開けて破片を取り出したばかり。「一晩寝ないで手術したんだ。見ろよ、こんな状態だったんだぜ」。ポケットからスマホを取り出した医師が頭部切開と脳の中から破片を取り出す様子を見せてくれる。果たしてこの娘は言葉を喋れるのだろうか?両手両足は動くのか?変わり果てた自身の姿に絶望して自ら死を選ばないだろうか?

11月2日、再びインディラガンジー子ども病院を訪問する。「ぜひお前に取材してほしい患者がいる」と医師から連絡があったからだ。手術用の防護ガウンを着て手術室に入る。全身麻酔を施された赤ちゃんがベッドに横たわっている。「これを見ろ」。医師が赤ちゃんの背中を見せる。「テラトーマ(奇形腫瘍)」。怒りを含んだ医師の声が手術室に響く。「これは、もしかして米軍の...」「そうだ。劣化ウラン弾による放射能被害だ」。イラクと同じくアフガニスタンでも米軍は大量の劣化ウラン弾を使用している。「1日に5人、この腫瘍を取り除く手術をしたことがある。戦争前までこんな症状はなかった。俺は劣化ウラン弾が原因だと確信している」。もちろんこの疾病と劣化ウラン弾の因果関係は不明。だから調査を行うべきなのだが、肝心のアフガン政府が米国に支配されているため、調査どころか病院として正式に告発することもできない。医師が電気メスで赤ちゃんの腫瘍を切断していく。肉の焦げる異臭が手術室に充満する。果たしてこの子は助かるのか?米軍は劣化ウラン弾だけでなく、クラスター爆弾、白リン弾などを使用したと言われている。放射能だけでなく、重金属による化学的汚染も考えられる。戦争は最大の「ブルシットジョブ」(クソつまらない仕事)だ。

米国の大統領はバイデンになった。トランプよりはマシだが彼の後ろには軍産複合体がいる。反戦世論を高めて、まずはこの無謀な戦争を止める。その後の調査で劣化ウラン弾が原因となれば、米国に対して謝罪と補償を求める世界的な運動を繰り広げなければならない。

この時の映像をDVD「中村哲さんとアフガニスタン」にまとめています。映像は約30分。ご希望の方はメールでお知らせください。

西谷

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